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最近は朝の通勤のどうだっていい時間帯にブログ書いてるんだよね。

特に東京駅で東海道線に乗り換えるんでその後かな。

東海道線で遠くに行ってるんじゃなくて品川。

「君、京葉線ならば有楽町乗り換えという裏技があるよ」

って大きな御世話でござる。

あの狭い改札通路階段を中年サラリーマンとショルダータックルの応酬とか嫌なこった。

いつも東海道線に乗る時に思うのは、これで遠出してみたいなドンブラコッコと思うんだ。

駅弁買ってな。

グリーン車に乗りたいな。

湘南アウェーに行く時には乗ると思うけど、湘南ってこっち側にきたんだっけ。J1のことはよくわからん。

ところでこの電車、暖房の件で発車数分前まではボタンでドアを開閉しなきゃあいかんのだ。

大抵出入口に貼り付いてるフジツボ君がいるんでボタンが押しづらい。

この電車に乗って

適当なところへ出かけたいなあ。
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先日はマーラーやブルックナーつまんねと書いたが、これは交響曲に限った話

マーラーの歌曲やブルックナーのミサ曲はとても好き。

実は交響曲がつまらないのは長いというのが最大の理由であって、中身は手の込んだオーケストレーションがたくさんある。何度も聴くと主題が変化していってるのを認識できる。
ただ、自分みたくクラシックの素養が薄いと10回聴いたくらいじゃわからん。

こうやって聴き手側の不勉強が原因で理解されない一方、

聴き手がわからないクラシック音楽が量産されすぎた。

一定時間ただ何も音を出さないとか、模様に合わせた音列だけを繰り返すだところから始まり
楽器を消しゴムでひいたり、ラジカセの雑音を鳴らしたり。

もっともらしい哲学的なメッセージがあったり、神から啓示を受けたという妙なテーマであったりと

それを我々不勉強な「馬の耳」に提供されてきた。

これ、つまんないです。

と言えない「馬の耳」側がそれでもありがたがる。

こういう所謂前衛的音楽は昔から疑問の視線には晒されてきたのだが、中には
「じゃあお前らの好きな古典も書けるんだよ」
古典っぽい音楽で古典には無い転調を盛り込んで曲作ったプロコフィエフの例があるので、おいそれと逆らえない。

おかげで「現代音楽」というクラシック音楽の奇妙なカテゴリーができちゃってる。

クラシックの世界だと名前売るのはことさらコンクールとなるんだが、メロディっぽい譜面があると見てもくれんらしい。

さて、そのコンクールだが、誰でも出れる訳ではなく、なんちゃら先生の弟子で一人なんていう暗黙のルールがあるらしいんだ。

素人からすると自分の弟子100人出せばいいのにとおもうんだけど。

そうするとなんちゃら先生の弟子っつうのは他の審査する先生の心理にも影響するわけだ。
一応、予選は名前伏せてるらしいけど譜面みたらレッスンした弟子の譜面くらいわかるわな。

佐村河内のゴーストライターが名乗り出た後に処分されたが、学生が処分取り消しの運動やっとるらしい。

美談にも聴こえるけど、この先生は単なる非常勤講師から名前を売ったのは事実で、そういう世界のど真中にいることも意識の何処かにもっときたいわw

どんなに恥を描いても音楽の好き嫌いは正直に言わないといくらでも騙されるよ。
佐村河内の仲間みたいなのに。
「最初聴いたとき時にピンとこなかったんだよな」

知り合いのクラシック通どもはさながら佐藤藍子乙コンテストとなっている。

世の中じゃ佐村河内の悪人ぶりだとかゴーストライター先生擁護ポジションの音楽関係者やらの話でいっぱい。

一番たまらんのはあらゆる美辞麗句で絶賛しちゃった偉い評論家の先生達で、この件突っ込まれる前に山にこもって世捨て人とか陶芸家になるしかない。


でもさ、「ピンとこなかった」人達ってオススメ演奏がその評論家の絶賛CDだったりするんだな。


これ始まって3分で「無理ですw」って普通の人なら思うんだろうけど

クラシックオタクなんて重厚長大な意味不明な音楽で滝に打たれるのが「シロートとは違うぜ」とやっちゃう。


つい数日前のエントリーに「芸術」と賞賛される理由は「うわ、また聴きてー」と思わせる曲作りのテクにある。

とオペラについて書いたばかり。


クラシックでなくても人の好む音楽というのは素敵なメロディーがあり、泣かせるサビがあり、もう少し聴きたいという欲求を持たせたまま突然終結したり、胸を打つような再現部がきたりする。

心の欲求のまま和音が解決したり、しなくてヤキモキさせたり。


人の心を掴むテクニックこそが音楽の形式で、その形式を楽しむのがクラシック音楽

だった。

だけどクラシック音楽ってワケのわからないもんを「何これ?」と言えない。


ストラビンスキーの「春の祭典」からだ。

音楽史からすると

当時この曲の価値の解らない馬鹿な聴衆は初演で演奏中に大ブーイングをしてしまった。

らしいが俺はとても正当な評価だと思う。

この事件以来イカレポンチな音楽の評価を先延ばしにしたり絶賛する習慣が始まった。


確かに同じような作り方された曲をずっと聴いてると他の物も聴きたくなる欲求が沸くのは分かる。


それは生まれた時から音楽に囲まれ、散々作曲法だの音楽理論などやりつくした人。



それがアマチュアで楽器始めてからクラシックに近づいて数年のやつがマーラーだのブルックナーだのいう長大重厚な意味不明なものを理解できるとは思えんのですわw

俺なんかマーラーの交響曲聴いてると辛くて死にそうだもん。まだお経のほうがマシ。

今進行している音楽が何のことなのか、どこが展開部なのか再現部なのか。はたまた今流れているメロディーが何なのか

初めての音楽を聴いていて何の欲求もわかない。

ただ楽器が長い凄そうなことやってる。

だけど評価されてる。

てか俺以外はみんな素晴らしいという。。。しかし本当に家でいつもあんなキツイの聴いてるんかや?

その、例の騒ぎの桐朋のセンセーの書いた曲とかがやはりそのカテゴリー。

値札がわかった後で「ピンとこなかった」は無いわな。



お前なwwwマーラーとはぜんっぜん違うだろうがwww

とくってかかろうが、素人が聴いて主題の提示だの再現だの展開だのがわからないのは同じ

くってかかる前にハイドンの80番台やら90番台の交響曲を聴いてから言えw

なんの前提知識も予備知識もなくても面白いだろうが。。



フランクだかブルックナーだか聴いたときにツマンネーwww

って言ったら

「この人はオルガン奏者だから理解しなきゃいかん」と言われたが

それ、今回の障害を乗り越えた天才と話似てねえかw



自分で聴いて面白いとかを判断しないからこういう騒動になるんだぜ。

今回の事はクラシック通なんて気取ってるバカへの強烈なレッスンだったと思えよ。



■野本由紀夫 玉川大学教授(音楽学者) 
HIROSHIMAについて

「言ってみれば1音符たりとも無駄な音は無い」
「これは相当に命を削って生み出された音楽」
「初めてこの曲を聴いたときに私は素直に感動した。そして非常に重い曲だと思った」
「言葉で言い表す事自体が非常に薄っぺらになってしまう」
「1000年ぐらい前の音楽から現代に至るまでの音楽史上の様々な作品を知り尽くしていないと書けない作品」
「本当に苦悩を極めた人からしか生まれてこない音楽」

■許光俊 音楽評論家、慶応大学教授

もっとも悲劇的な、苦渋に満ちた交響曲を書いた人は誰か?
耳が聞こえず孤独に悩んだベートーヴェンだろうか。ペシミストだったチャイコフスキーか。
それとも、妻のことで悩んだマーラーか。○の不安に怯えていたショスタコーヴィチか。あるいは・・・。
もちろん世界中に存在するすべての交響曲を聴いたわけではないが、知っている範囲でよいというなら、私の答は決まっている。
佐村河内守(さむらごうち まもる)の交響曲第1番である。


■三枝成彰

「作曲者はベートーベン並みの才能の持ち主」 









テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

昨日書いたとおり南大沢まで演奏会に行ってきた。

ありがたいのは駅から近い。

隣にはヨーカドーもござる。

(よっしゃ、昼飯はヨーカドーの弁当)

と思ったけど、多分ゴミはお持ち帰りなんだ。

そうなると帰りの長い道中荷物が増える。
こりは勘弁。

フードコートにいってもポッポしかないw

うーん。ラーメンとかお好み焼きか。大判焼きか。
少なくともお好み焼きは「戦いの前の食事」としては不適切極まる。

レストランフロアみたいなのがあったが、ラケルと重爆豚カツ定食の店。

唸る。

カキフライ定食でもいいのだが、2000円近くする。

演奏会当日のぼっち飯くらい寂しいものはない。
仕方なくポッポでラーメンすすった。

さて終演後に打上げに行ったんだ。

「創作料理」の店だったが、出てきた料理は市販のタコス。ハム。シーザーサラダで空きっ腹にビール感。

スペアリブが出てきたけど脂身は嫌い。

最期はチーズの盛合せだったぞ。
今日は演奏会なんですよ。

南大沢で

え?

何そこって、八王子市ですよwww

この大雪で、昨日のゲネプロは中止になっとります。

よりによって演奏会の日に大雪かよ。

そういや、去年のオペラの本番の日は台風だったぞ。

楽器ケース購入して良かった。

今京王線で移動中だけど、あたり一面が雪景色。
オーケストラの各パートには専用の譜面がある。バイオリンとクラリネットの譜面は当然違う。

たとえプロであろうと練習はするのだから、やり直したい箇所なんかの場所を一発で共通認識できるように譜面の同じ場所にアルファベットで記号があったり小節番号が改行毎にふってある。

通常は


しかし無い譜面とか、あっても指揮者のスコアの出版社とパート譜の出版社が異なる場合は、合奏までに各々手で振り直さなければならんw

今日からオペラの練習が始まるんだけど、昨日大量のメールで送られてきた小節番号を書いていた。

転調するとことかテンポ記号のところに数字があるのは嬉しいが

85 Andante
204 cresc
215 fermata
321 P

204 cresc ww
これはキツイwwww

自分の譜面の中でcrescは一箇所でないので楽譜を数える。

あってりゃ問題ないが100近くも数えると間違える。

crescの位置が違うので数え直し。

近辺になければ良いが中2小節を挟んでまたcrescとかいてあったりする。

携帯が鳴って新しいメールがきてる

「先ほどの連絡に間違えがありました」

先日も別の団体で「幻想交響曲」に練習番号書いたけど、いざ練習ん時に場所がわからない。


「お前、メールが送られてきただろう。ちゃんとふれよ」
という非難の視線の中、よくよく見ると書いてある。
譜面の汚れかと思ったら自分で書いた金釘文字。

多分いっぱい間違えてるんだろうなあ。
子供時代、スパゲッティといえばナポリタンのことであり、シャレた喫茶店に行けばミートソースがあるくらいだったから、今の外食のメニューの多さにびっくり。

おまえらのバカにするサイゼリヤやカプリチョーザのメニューですら未だになんのことかわからんものがある。

小学生時代に家族で外食した際にハンバーグの付け合わせに白いスパゲッティがあって

「こらケチャップのかかっとらんばい。自分でかけにゃんとだろ」

とテーブル上にあったタバスコをかけ、
「出んばい」
と悪戦苦闘してたのが嘘のようだ。

週末はオケ。

オケの行き帰りに寄る外食が楽しみでござる。

とても旨い中華屋さんがあって安いのでしばらく通ってた。オケの連中のたまり場の飲み屋の近くだ。

だがここ二回くらいはそば屋に行っとる。

タヌキそばと天丼のセットで、かなり腹いっぱいになるので、食った後後悔するが、そば屋の天ぷらって旨いし、タヌキそばにも中毒性がある。

タヌキそばなんてその辺の富士そばでもいいだろうがなんて突っ込まれそうだけど、天かすとダシと麺の旨さ異次元なんだ。
プロフィール

さざえさん

Author:さざえさん
こちらに引っ越してきました。

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